2005年 05月 25日
テレビ、虚構と現実 |
きょうのわたくし:「感動という病」
テレビによるお安い感動が蔓延しているというお話。皆が皆受動的な感動を求めてそれで事足りる、って世の中になっちゃったのはどういうわけ?感動ってのは自分で探すもんじゃないの?という問題提起と受け止めました。
で、コメントつけると長くなりそうだからこっちにエントリー立てました。
元々ドラマとかには「感動スイッチ」なんて言葉があるそうで、「こうこうこういう風にやれば必ず泣く」って方法論が確立されているらしい。ま、虚構の世界だからそれはそれでいい。
昔はそれだけだったなぁ。感動を売りにしたドキュメンタリーなんてなかったし(強いて言えば海外モノ、驚異の世界とか野生の王国ってのは知らない世界を教えてくれた感動ってのがありました)、ましてやバラエティなんて「それは秘密です」ぐらいじゃなかったかな、お涙頂戴モノって。
それが、いつごろからこんな風になっちまったかというと、オウム事件を契機にして、なのです。
エンタメ系クリエイターが一生懸命虚構の世界を作っているときに、毎日のようにゴールデンで流れるオウム緊急特番が30%から40%なんて視聴率をたたき出し(ワールドカップかよ!)、テレビ局の、それから視聴者の意識を変えてしまった。
「虚構より現実の方が数倍面白いんじゃないの?」
これを境にして、テレビには新たなジャンルが登場し、世の中を席巻した。それが「ドキュメント・バラエティー」。電波少年みたいなやつ。今でもあいのりあたりに引き継がれている。
これはバラエティーだから、ドキュメント風の演出手法を取り入れた虚構でしかなかったのだが、視聴者を勘違いあるいは混乱させるには十分だった。作り手の方も「現実と錯覚してくれれば大成功」といった態度で作ってたわけで、こりゃもう確信犯だな。さらに、この世の中の趨勢を受けて、ドキュメンタリーの分野でもより視聴率をとるための「演出」がもてはやされるようになっていく。現実と虚構のクロスオーバー。作り手の中ではこの二者には一線が引かれていたのだがもはや見た目にはどっちなのかわからなくなってしまった。
NHKはそうした中では、ドキュメンタリーはドキュメンタリーできっちり作っていたと思う(例のムスタンやらせ事件はオウムの前だけど、感動がウリの大自然モノ、紀行モノのドキュメンタリーだからこそ起きた事件と言えよう)。ところが海老沢体制になってから、NHKはやたらと視聴率を気にしだした。公共放送なのだから、視聴率など気にしないでいいものを作ってくれればいいのに、「視聴者から直接聴取料をいただいてるからこそ、皆さんに一番見てもらう責任がある」とかなんとかいって、視聴率取ったやつが偉い的な雰囲気になっていったときく。
恐らく視聴率取ったクリエイターは褒められ、取れないクリエイターは叩かれたのであろう。民放では普通だがNHKの長い歴史の中でこんなことは初めてだったのではないだろうか?
そういった思想になじみのない人々が、急にそういう状態に追い込まれると何が起こるのか?それが最近の数々の不祥事として顕在化しているような気がする。
プロジェクトXは、記事の中ではドキュメンタリーと紹介されているが、僕にいわせれば歴史・人物バラエティー。波乱万丈と何も変らない。「ドキュメンタリーに強いNHK」というイメージと「実話が題材」であるというだけでドキュメンタリーではない。NHKとしては発明品。しかも当たった。関係者からは「旧海老沢体制の遺物で、打ち切るべきだ」との声が上がっている。ということだが、つまり視聴率狙いでこのようなジャンルの番組を作らず、もっと直球で勝負するべきだ、と考えているNHKのクリエイターがそういう不満を持っているということなのだろう。
メディアがこういう方向に流れる世の中の雰囲気ってものがある。実は、今アメリカでも911以降「リアリティー番組」と呼ばれるジャンルが人気を博しているそうだ。過激なトークショーだったり、サバイバーだったり、テレビ公開捜査的な番組だったり、あとアメリカン・アイドルというオーディション番組が「挑戦者の脱落」という人間ドラマにスポットを当てて成功しているようだ。全盛時のアサヤンも挑戦者のドラマで引き付けてたしね。というわけで、この雰囲気は日本だけの話ではないらしい。
純粋にイチから作り上げていくエンターテイメントが見直されることはないのだろうか?
テレビによるお安い感動が蔓延しているというお話。皆が皆受動的な感動を求めてそれで事足りる、って世の中になっちゃったのはどういうわけ?感動ってのは自分で探すもんじゃないの?という問題提起と受け止めました。
で、コメントつけると長くなりそうだからこっちにエントリー立てました。
元々ドラマとかには「感動スイッチ」なんて言葉があるそうで、「こうこうこういう風にやれば必ず泣く」って方法論が確立されているらしい。ま、虚構の世界だからそれはそれでいい。
昔はそれだけだったなぁ。感動を売りにしたドキュメンタリーなんてなかったし(強いて言えば海外モノ、驚異の世界とか野生の王国ってのは知らない世界を教えてくれた感動ってのがありました)、ましてやバラエティなんて「それは秘密です」ぐらいじゃなかったかな、お涙頂戴モノって。
それが、いつごろからこんな風になっちまったかというと、オウム事件を契機にして、なのです。
エンタメ系クリエイターが一生懸命虚構の世界を作っているときに、毎日のようにゴールデンで流れるオウム緊急特番が30%から40%なんて視聴率をたたき出し(ワールドカップかよ!)、テレビ局の、それから視聴者の意識を変えてしまった。
「虚構より現実の方が数倍面白いんじゃないの?」
これを境にして、テレビには新たなジャンルが登場し、世の中を席巻した。それが「ドキュメント・バラエティー」。電波少年みたいなやつ。今でもあいのりあたりに引き継がれている。
これはバラエティーだから、ドキュメント風の演出手法を取り入れた虚構でしかなかったのだが、視聴者を勘違いあるいは混乱させるには十分だった。作り手の方も「現実と錯覚してくれれば大成功」といった態度で作ってたわけで、こりゃもう確信犯だな。さらに、この世の中の趨勢を受けて、ドキュメンタリーの分野でもより視聴率をとるための「演出」がもてはやされるようになっていく。現実と虚構のクロスオーバー。作り手の中ではこの二者には一線が引かれていたのだがもはや見た目にはどっちなのかわからなくなってしまった。
NHKはそうした中では、ドキュメンタリーはドキュメンタリーできっちり作っていたと思う(例のムスタンやらせ事件はオウムの前だけど、感動がウリの大自然モノ、紀行モノのドキュメンタリーだからこそ起きた事件と言えよう)。ところが海老沢体制になってから、NHKはやたらと視聴率を気にしだした。公共放送なのだから、視聴率など気にしないでいいものを作ってくれればいいのに、「視聴者から直接聴取料をいただいてるからこそ、皆さんに一番見てもらう責任がある」とかなんとかいって、視聴率取ったやつが偉い的な雰囲気になっていったときく。
恐らく視聴率取ったクリエイターは褒められ、取れないクリエイターは叩かれたのであろう。民放では普通だがNHKの長い歴史の中でこんなことは初めてだったのではないだろうか?
そういった思想になじみのない人々が、急にそういう状態に追い込まれると何が起こるのか?それが最近の数々の不祥事として顕在化しているような気がする。
プロジェクトXは、記事の中ではドキュメンタリーと紹介されているが、僕にいわせれば歴史・人物バラエティー。波乱万丈と何も変らない。「ドキュメンタリーに強いNHK」というイメージと「実話が題材」であるというだけでドキュメンタリーではない。NHKとしては発明品。しかも当たった。関係者からは「旧海老沢体制の遺物で、打ち切るべきだ」との声が上がっている。ということだが、つまり視聴率狙いでこのようなジャンルの番組を作らず、もっと直球で勝負するべきだ、と考えているNHKのクリエイターがそういう不満を持っているということなのだろう。
メディアがこういう方向に流れる世の中の雰囲気ってものがある。実は、今アメリカでも911以降「リアリティー番組」と呼ばれるジャンルが人気を博しているそうだ。過激なトークショーだったり、サバイバーだったり、テレビ公開捜査的な番組だったり、あとアメリカン・アイドルというオーディション番組が「挑戦者の脱落」という人間ドラマにスポットを当てて成功しているようだ。全盛時のアサヤンも挑戦者のドラマで引き付けてたしね。というわけで、この雰囲気は日本だけの話ではないらしい。
純粋にイチから作り上げていくエンターテイメントが見直されることはないのだろうか?
by mo_ura | 2005-05-25 19:21 | 社会
