2007年 01月 21日
メディア・リテラシー
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Excite 芸能ニュース : キー局フジもドタバタCMなし大事態
大騒ぎになっているようだが、「裏切られた!」とか「嘘つき!」などの反応を見ると、どうやら皆さんはメディアとの接し方を「まだ」わかってらっしゃらないようなご様子で悲しくなる。このブログでも何度も書いてきたリテラシーというものを、そろそろ真剣に皆さん身につけないと、テレビなんてまだいいがネットなんて嘘だらけである。
そもそも「あるある大事典」という番組は「情報バラエティー番組」である。つまり情報をネタにした娯楽番組である。この枠は元々「花王名人劇場」、つまり漫才ブームに乗って一時代を築き上げたお笑い番組の枠である。すなわちお笑い番組と情報の信憑性はほぼ同じだと考えた方がいい。
民放には報道番組と教育番組と娯楽番組がある。このうち「クイズ」が教育番組と認められることから、実体的には教育番組は娯楽番組の中に吸収される。つまり実質的には報道と娯楽に分かれると思った方がいい。報道についてはテレビ局は報道機関としての使命を持つ。一方娯楽番組に関してはショウビズ界のコンテンツ制作企業という側面を持つ。両者は全く別物と考えた方がいい。一般的にテレビ局は、娯楽番組でカネを稼ぎ報道機関としてのテレビ局を支えている。つまり娯楽番組がプロフィットで、報道はコスト部門なのだ。
企業としてのテレビ局の中では、娯楽番組はカネを稼ぐために存在するのだ。だから、拝金主義はいわば当たり前のことであり、カネに転化するものは視聴率にほかならない。つまり、娯楽番組は視聴率を稼ぐことしか考えていない、と言い切ってしまってもいい。
ここまでわかっていれば、あとは取るべき態度は決まってくるだろう。娯楽番組の正しい見方は、「そんなばかなことはないだろう!」とか言いながらゲラゲラ笑っておしまい、である。
問題はこの娯楽番組と報道番組の見分けがつきにくくなっていることにあるのかもしれない。何と言っても最近事件事故ばかり扱うワイドショーも、実は娯楽番組なのだから。情報バラエティーにしたって、その信憑性が視聴率を生む、ということで下手にしっかり作っているうちに、笑って観ていられなくなってきた。
報道番組と娯楽番組の見分け方は簡単で、メインタイトルに「報道」「ニュース」「ドキュメント(ドユメンタリー)」と入っていれば報道番組とみて間違いないのだが、一方でこの報道番組が「娯楽番組的手法の演出」を取り入れる事態となって、ますます混乱するようになった。ニュース・ステーションの登場以降、報道番組がカネを稼げるようになってしまったことに起因すると思うのだが、前にも書いたがそれはオウム事件で決定的となった。つまり報道番組もカネを稼ぐ使命を帯びてしまっているのである。
しかしながら、報道番組と娯楽番組は作り方に大きな違いがある。報道機関としてのテレビ局は絶対にウラの取れていないニュースは流さない。そういう意味では一般にジャーナリズムだとか情報の信憑性を論ずるべきなのは報道番組だけなのである。報道機関としてのテレビ局が「誤報」を流したとすれば、それはよってたかって叩かれるべきものである。私たちは本来こういう見方でマスコミを監視していかなければならないのだ。
私は「虚構」の世界が大好きだから、エンタメ業界にいる。そう、エンタメは虚構なのだ。だが、その虚構の中に1%の真理があり、それが人の心を打つ。それが楽しい。多分に比喩的で、風刺的で、娯楽の中に紛れ込んだものなのだが、それが深いのである。
情報バラエティも、番組の最後に必ず「この番組はフィクションであり…」云々と断り書きを入れるべきなのではないだろうか。そうすれば、こんな問題は起こらないような気がする。
大騒ぎになっているようだが、「裏切られた!」とか「嘘つき!」などの反応を見ると、どうやら皆さんはメディアとの接し方を「まだ」わかってらっしゃらないようなご様子で悲しくなる。このブログでも何度も書いてきたリテラシーというものを、そろそろ真剣に皆さん身につけないと、テレビなんてまだいいがネットなんて嘘だらけである。
そもそも「あるある大事典」という番組は「情報バラエティー番組」である。つまり情報をネタにした娯楽番組である。この枠は元々「花王名人劇場」、つまり漫才ブームに乗って一時代を築き上げたお笑い番組の枠である。すなわちお笑い番組と情報の信憑性はほぼ同じだと考えた方がいい。
民放には報道番組と教育番組と娯楽番組がある。このうち「クイズ」が教育番組と認められることから、実体的には教育番組は娯楽番組の中に吸収される。つまり実質的には報道と娯楽に分かれると思った方がいい。報道についてはテレビ局は報道機関としての使命を持つ。一方娯楽番組に関してはショウビズ界のコンテンツ制作企業という側面を持つ。両者は全く別物と考えた方がいい。一般的にテレビ局は、娯楽番組でカネを稼ぎ報道機関としてのテレビ局を支えている。つまり娯楽番組がプロフィットで、報道はコスト部門なのだ。
企業としてのテレビ局の中では、娯楽番組はカネを稼ぐために存在するのだ。だから、拝金主義はいわば当たり前のことであり、カネに転化するものは視聴率にほかならない。つまり、娯楽番組は視聴率を稼ぐことしか考えていない、と言い切ってしまってもいい。
ここまでわかっていれば、あとは取るべき態度は決まってくるだろう。娯楽番組の正しい見方は、「そんなばかなことはないだろう!」とか言いながらゲラゲラ笑っておしまい、である。
問題はこの娯楽番組と報道番組の見分けがつきにくくなっていることにあるのかもしれない。何と言っても最近事件事故ばかり扱うワイドショーも、実は娯楽番組なのだから。情報バラエティーにしたって、その信憑性が視聴率を生む、ということで下手にしっかり作っているうちに、笑って観ていられなくなってきた。
報道番組と娯楽番組の見分け方は簡単で、メインタイトルに「報道」「ニュース」「ドキュメント(ドユメンタリー)」と入っていれば報道番組とみて間違いないのだが、一方でこの報道番組が「娯楽番組的手法の演出」を取り入れる事態となって、ますます混乱するようになった。ニュース・ステーションの登場以降、報道番組がカネを稼げるようになってしまったことに起因すると思うのだが、前にも書いたがそれはオウム事件で決定的となった。つまり報道番組もカネを稼ぐ使命を帯びてしまっているのである。
しかしながら、報道番組と娯楽番組は作り方に大きな違いがある。報道機関としてのテレビ局は絶対にウラの取れていないニュースは流さない。そういう意味では一般にジャーナリズムだとか情報の信憑性を論ずるべきなのは報道番組だけなのである。報道機関としてのテレビ局が「誤報」を流したとすれば、それはよってたかって叩かれるべきものである。私たちは本来こういう見方でマスコミを監視していかなければならないのだ。
私は「虚構」の世界が大好きだから、エンタメ業界にいる。そう、エンタメは虚構なのだ。だが、その虚構の中に1%の真理があり、それが人の心を打つ。それが楽しい。多分に比喩的で、風刺的で、娯楽の中に紛れ込んだものなのだが、それが深いのである。
情報バラエティも、番組の最後に必ず「この番組はフィクションであり…」云々と断り書きを入れるべきなのではないだろうか。そうすれば、こんな問題は起こらないような気がする。
by mo_ura
| 2007-01-21 20:52
| 社会